大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)318号 判決 1985年7月11日

原告

近藤徳

右訴訟代理人

藤井勲

山本寅之助

芝康司

亀井左取

森本輝男

山本彼一郎

被告

中尾孝

右訴訟代理人

前川信夫

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、六〇二九万六一二一円及びこれに対する昭和五二年一〇月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

原告は、亡近藤康子(以下、単に「康子」という。)の夫であり、被告は、中尾医院の名称で産婦人科医院を開業する産婦人科医師である。

2  本件診療契約の成立

康子は、妊娠一〇か月に入つた昭和五六年九月一六日、中尾医院に転院し、ここに、康子と被告との間で、被告が、産婦人科医師として最高最善の注意(いわゆる善管注意)を尽して同女を診察し、かつ、その診察結果に基づき、同女をして適確なる分娩をなさしめる旨の診療契約が成立した。

3  本件出産の経緯

(一) 康子は、同年一〇月一〇日午前九時四五分ころ、中尾医院に、分娩を行なうため入院した。

(二) 被告は、右入院時から翌一一日午後六時四五分ころ康子を分娩室に入室させるまでの間、自らは二ないし三回同女を診察したのみで、その余の時間帯における診察や経過観察を、主として本多教助産婦に委ねていた。

(三) 康子は、右入院日の一〇日午後三時二〇分ころから、周期一〇分の陣痛を起すようになり、また、そのころから、継続的に水おりが多くなつて破水を疑わしめる状態になつた。

(四) 本多助産婦は、康子が右破水を疑わしめる状態となつた後分娩室に入室するまでの間、数回に亘つて、同女の病室で素手のまま内診を行ない、また外陰部にあてる綿の交換を同女の自由に委ねていた。

(五) 康子は、同日午後一〇時ころから、頻尿を来たして何度も便所へ行くようになり、また、そのころから、相当量の性器出血が継続してみられるようになるとともに、嘔吐を催すようになつた。

しかしながら、本多助産婦は、康子が便所に行つた際にどんな下り物があつたかさえ確認しなかつた。

(六) 康子は、翌一一日午前一一時ころから、右嘔吐などの症状に加えて摂氏三九度の発熱をも生ずるようになり、右発熱に伴う悪寒にも苦しむようになつた。

(七) 被告は、康子が右発熱を引き起した当時、外出していて不在であり、同日午後三時ころ、看護婦から連絡を受けて右発熱の事実を知り、羊水感染を疑つたが、電話で看護婦に対し、抗生物質セフアメジン及び解熱剤メチロン(薬剤名はスルピリン)を同時投与するよう指示したにすぎなかつた。

(八) 看護婦は、右指示に基づき、そのころ、右同時投与を実施し、その結果、康子は、同日午後六時ころまでに解熱した。

(九) 康子は、同日午後六時四五分ころ、子宮口全開大となり、分娩室に入室した。右入室当時、胎児の児頭は既に排臨していたが、その後、胎児は、児頭排臨状態のまま停滞したので、被告は、吸引器で吸引したところ、胎児は一回の吸引で、同日午後七時三分に娩出した。右吸引分娩に要した時間は、全体で約五分間であり、吸引自体に要した時間は、わずかに数秒であつた。ところが、右娩出時には、出生児はアプガール係数二点の重症仮死状態にあり、そのまま死亡した。なお、胎児の出生時の体重は三四〇〇グラムであつた。

(一〇) 康子は、胎児娩出後、ショック状態を呈し、同日午後八時五〇分、死亡した。<以下、省略>

理由

一請求原因1(当事者の地位)及び2(本件診療契約の成立)の各事実は、当事者間に争いがない。

二本件出産の経緯等について

請求原因3のうち、(一)の事実、(二)のうち被告の診察回数を除くその余の事実、(六)ないし(八)のうち康子が発熱した時刻及び被告がその旨連絡を受けて投薬を指示した時刻を除くその余の事実、(九)及び(一〇)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、本件出産の経緯等につき、次の各事実を認めることができる。

1  妊娠後転院までの経緯

(一)  康子は、昭和二五年九月四日生まれであるが、昭和五一年一二月二五日を最後に月経が止つたので、同五二年三月一一日に至り、石橋産婦人科で診察を受けたところ、妊娠三か月であると診断された。

(二)  康子は、その後、同年九月九日まで同医院に通院していたが、その間、同女には浮腫も尿蛋白も一度も出現せず、血圧も正常値で、その全身状態に何ら異常はみられなかつた。また、胎児は、正常位(頭位)の状態にあり、その全身状態にも異常はみられなかつた。

2  転院時の状況等

(一)  康子は、同年九月一六日、被告のもとで出産したことのある婦人の紹介で、同婦人に連れられて中尾医院を訪れ、被告に対し、これまで石橋産婦人科に受診していたが、被告のもとで出産したいので受け入れてほしい旨懇請した。

(二)  右申出に対し、被告は、まず康子に出産予定日等を尋ねたところ、同女は、石橋医師から同年一〇月二日であると診断されている旨答えた。そこで、被告は、既に臨月に入つている状態での転医は医学的見地からも妥当とは言い難く、また、石橋医師に対する遠慮もあつたことなどから、一たんは右申出を断ろうと考え、同女に対し、同医師に継続して診ていただいた方がよい旨述べて説得に努めたが、同女や紹介者が、被告の診療を受けたい旨こもごも強く訴えたため、結局、右転院申出を受け入れることとし、同女を担当する助産婦を、同女や紹介者の希望も考慮して、本多教助産婦をもつて充てることにした。

(三)  なお、中尾医院においては、当時、医師は、被告一人であつたが、助産婦は四名、看護婦も菊田及子看護婦長を含めて四名(うち二名は見習い看護婦)おり、分娩のため入院する患者に対しては、予め一名の助産婦を同患者の担当者として決めておき、被告自身が診察を行なう以外に、その他の時間帯には、右担当助産婦が経過観察等を行ない、また、看護婦が、室内電話等を用いて、定期的に、右助産婦や患者本人等に対して容態を尋ねるという看護体制がとられていた。また、被告は、昭和二四年に大阪大学医学専門部を卒業して翌二五年に医師免許を取得し、同年から和歌山県立医科大学外科学教室に入局、同二八年からは同大学解剖学助手の地位に就き、同三二年に医学博士の学位を得た後、同年から同大学産婦人科教室に入局し、同三四年六月に研究生活を辞して中尾医院を開業し、現在に至つているもので、また、本多助産婦は、大正八年四月に助産婦資格を得るとともに同年一〇月には看護婦資格をも取得し、一時自ら助産院を開業した後、中尾医院に勤務していた者で、当時七七才であつた。

(四)  被告は、康子の転院を受け入れることとした後、直ちに、同女に対する診察と検査を実施したが、その結果、同女は、かつて虫垂炎に罹患して虫垂切除術を受けたことがある以外には特段の病歴はなく、また、浮腫、尿蛋白、貧血、性器出血はいずれも認められず、血圧も脈拍も正常で、その全身状態は、従前石橋産婦人科で診察を受けていたときと同様、良好であつた。

3  転院後入院までの経緯

(一)  被告は、右初診後、昭和五二年九月二四日、同年一〇月三日、同月五日の三回に亘つて康子を診察したが、その結果、同女の全身状態は初診時と同様良好であつたものの、出産予定日の同月二日を経過しても、同女には分娩開始の徴候はみられなかつた。そこで、被告は、同女が初産であることも考慮して、同月三日及び同月五日の各診察の際、同女に対し、子宮頸管軟化剤エストリールデボを注射した。また、右五日における診察の際、被告は、これまでの診察結果を勘案したうえ、同女に対し、同月一一日に入院するよう指示した。

(二)  中川フミエは、康子の実母であつて、同女の出産を手伝うため、同年九月二八日ころから原告方に滞在していたが、同女の入院に至るまで、同女から身体の変調を訴えられたことはなく、同女は家事一切を自分で処理していたし、食欲も普通であつた。

4  入院時の状況等

(一)  康子は、入院指定日の前日である同年一〇月一〇日午前九時四五分ころ、原告やフミエに付き添われて中尾医院を訪れ、狩集看護婦に対し、陣痛が一五分周期で起きるようになつた旨を訴えた。

(二)  同日は祝日(体育の日)で、同医院では日曜・祝日は休診にしていたため、本多助産婦も菊田婦長も出勤しておらず、また、被告も所用のため早朝から帰郷していて不在で、狩集看護婦が当直の任に就いていたが、同看護婦は、同助産婦に電話連絡を行ない、これを受けて、同助産婦は、急拠同医院まで赴き、康子の診察と検査を行つた。

(三)  右診察及び検査の結果、康子の全身状態はこれまでと同様良好で、もとより尿蛋白や浮腫も出現しておらず、また胎児心音も整つていたが、子宮口は一指開大で、子宮頸管もまだ堅いなど、未だ胎児娩出までには相当時間がかかるとみられる状態であつた。

(四)  なお、本多助産婦は、内診を行なう際、滅菌した手袋をつけるということはしていなかつたが、自己の手指を消毒液で消毒し、また、妊婦の外陰部も同様消毒を行つたうえで内診することにしていたもので、康子を数回に亘つて内診した際も、同様の手順を履んで内診を行つた。

5  入院後胎児娩出開始までの経緯

(一)  本多助産婦は、同日正午ころ、康子に対する二度目の診察を行つたが、同女には、子宮口や子宮頸管等にも進展がみられなかつたばかりか、かえつて、既に陣痛が消失しており、右来院時に起つていた陣痛は前駆陣痛に過ぎなかつたことが判明した。そこで、同助産婦は、康子に対し、入院するのが早過ぎた旨を告げたが、医師である被告の診察を待つて、同人に入院させるかどうかを判断してもらうべく、同女をそのまま入院させておいた。

(二)  一方、被告は、狩集看護婦から、康子が入院した旨電話で連絡を受けていたので、同日午後五時すぎに帰院した際、まず本多助産婦からその診察結果等の報告を受けたうえ、直ちに康子を診察したが、その結果は本多助産婦から受けた報告(前記(一)に認定した診察結果)と同じで、陣痛の再来はなく、また破水を確認することができなかつた。なお、同女の全身状態は依然良好で、性器出血などもみられず、また胎児心音も整つていた。そこで、フミエは、入院するのが早過ぎたとの趣旨の発言をし、また、本多助産婦も、一旦康子を帰宅させた方がよいのではないかとの意見を述べたが、被告は、児頭が下降した状態で固定し、胎胞も形成されていることなどを考慮して、康子に対し、このまま入院を続けるよう指示し、陣痛を促進させるために卵膜剥離(子宮口内に指を入れて、子宮壁と卵膜の間を刺激する行為)を実施したうえ、さらに、同助産婦に対し、もし康子に陣痛の再来がないときには、陣痛促進剤プロスタルモンEを翌日の早朝空腹時から服用させるよう指示した。なお、プロスタルモンEは、医学上、一回に一錠、一時間毎に連続して六回まで投与するが、途中で陣痛が強くなつたときには服用を中止することになつているが、本多助産婦も、右取扱い方法を熟知していた。

(三)  ところが、本多助産婦は、その後フミエから、康子に破水が起きた旨の連絡を受けたので、被告に対してその旨を報告した。そこで、被告は、破水があつた以上、早く出産させることが望ましいと考え、同助産婦に対し、プロスタルモンEの服用開始時刻を早めて同月一一日午前一時から服用させるよう指示し、同助産婦は、右指示に基づき、右時刻から同日午前六時までの間、一時間毎に康子の病室に赴き、同女に対し、プロスタルモンEを六錠とも服用させた。

(四)  なお、破水時刻は、本件全証拠によるも判然としないが、右(二)及び(三)に認定した各事実によれば、同月一〇日午後五時から翌一一日午前一時までの間に生じたものと認めるのが相当である。

(五)  康子は、プロスタルモンEの服用を開始した後、これを嘔吐したことがあり、本多助産婦は、その旨連絡を受けたので、右嘔吐物の状態を観察したが、嘔吐物はほとんどが胃液であつた。なお、康子に生じた嘔吐の回数は、本件全証拠によるも判然としないが、本多助産婦が、破水の連絡を受けた際には、その旨を直ちに被告へ報告してその指示を仰いでいるのに、右嘔吐については被告へ報告を行なわず、予定どおりプロスタルモンE六錠全部を服用させ終えていることに照らすと、同女の嘔吐は、少くとも服用時に毎回生じたものではなく、その程度もさほど激しいものではなかつたものと認めるのが相当である。

(六)  康子は、プロスタルモンEの服用を終える頃から、一五分に一回の割合による陣痛が再来するようになり、同日午前七時ころ本多助産婦の診察を受けた後、同日午前九時二〇分ころ、今後は被告の診察を受けた。

被告の右診察は、中尾医院の一階にある診察室で行なわれたが、康子は、本多助産婦に付き添われて、二階にある自己の病室から右診察室まで、普通に歩いて右診察を受けに赴いた。

右被告の診察の結果、康子の下り物の中にわずかに血が交つており、右下り物が薄いピンク色を呈しているのが認められたが、康子の全身状態は依然として良好で、子宮口は二指開大になつており、また、胎児心音も整つていた。

(七)  本多助産婦は、被告から、今夜予定される康子の出産に備えて仮眠するよう指示され、日比野かま江助産婦に康子への付き添いを交替してもらつたうえ、同日午後五時ころまで別室で仮眠をとつた。

(八)  康子は、同日午後二時ころ、再度被告の診察を受けたが、その際、康子は、子宮口が三指開大となつており、羊水混濁もなく、母体心音も胎児心音もともに良好で、分娩が順調に進行しているものと認められた。そこで、被告は、康子に対し、出産予定時刻は同日午後八時ころである旨を告げた。

(九)  被告は、右診察を終えた後、東大阪医師会で開かれた未熟児網膜症の研修会に出席するため、外出した。

(一〇)  康子は、同日午後三時ころに軽い悪寒を訴えたが、それが一たん収つた後、同日午後三時三〇分ころに至り、再度悪寒を訴えるようになつたので、菊田婦長らが体温を測つたところ、摂氏三九度であつた。そこで、同婦長らは、康子に対し、こたつを与え、毛布をかける一方、被告に対し、ポケットベルで連絡をとり、同人から、抗生物質セフアメジンと解熱剤メチロンとを康子に注射せよとの指示が出されたので、同日午後四時ころ、右注射を実施した。

その後、康子は、しばらくして解熱した。

(一一)  康子は、同日午後五時前ころ、少し鼻血を出したが、菊田婦長らが止血タンポンを施したところ、しばらくして止血した。また、菊田婦長は、そのころ、康子の外陰部に当てている綿に付着した下り物中に、ちようど月経開始期にみられるような、わずかな出血があつたのを確認した。

(一二)  本多助産婦は、同日午後五時すぎころ、仮眠を終えて同女のもとへ戻つたが、その際、同女が発熱し、また鼻血を出したことを聞かされたので、診察したところ、康子は、すでに解熱し、鼻出血も止つていた。

(一三)  菊田婦長は、同日午後五時三〇分ころ、木田加代子看護婦に、康子の症状の概要を伝えて引継ぎを済ませたが、菊田婦長ら昼間担当の看護婦は、中尾医院におけるこれまでの看護体制に従い、同日は、午前中に二回、室内電話で同女に容態を尋ね、また、午後には、少なくとも五ないし六回は、同女の病室まで赴き容態を観察していたが、前記(一〇)及び(一一)のとおりの発熱と出血があつた以外には、同女の全身状態に変化はなく、右発熱と出血も解消し、右引継ぎ時には、同女の全身状態に異常はなかつた。

(一四)  被告は、同日午後五時三〇分ころに前記研修会が終了したので、同日午後六時前ころに帰院し、木田看護婦から、康子発熱後の状況につき報告を受けたうえ、同女を診察した。

右診察の結果、康子の全身状態は平常に復していて、羊水混濁も性器出血もなく、胎児心音も正常であり、また、子宮口は四指開大になつていて、胎児娩出が近いものと認められた。

そこで、被告は、さらに陣痛を促進させて胎児娩出を容易ならしめるため、康子に対し、同日午後六時三〇分ころから、子宮収縮剤シントシノン、強心剤ビタカイン及び止血剤アドナをセットにした補液の点滴を開始した。なお、被告は、陣痛促進のための点滴を実施する際には、いつも陣痛誘発剤に強心剤を組み合わせることにしていたもので、また、止血剤については、康子が鼻血を出した旨報告を受けていたことから、これも加えることにしたものである。

(一五)  被告は、右点滴が開始された後、木田看護婦及び本多助産婦に対し、康子が胎児娩出を開始したら同女を分娩室に移したうえ連絡するよう指示して、外来患者の診察を行なうため、一階の診察室に降りた。なお、中尾医院においては、夕方は、午後六時から午後八時までの間外来診療を実施していた。

(一六)  なお、本多助産婦は、康子入院後、二時間程帰宅し、また、一時仮眠した以外は、継続して同女の経過観察等を行つていたが、その間、同女に異常な出血はなかつた。

6  胎児娩出開始後、出生児死亡に至るまでの経緯

(一)  康子は、右点滴を開始して一五分位経過した後、胎児娩出を開始した。そこで、木田看護婦と本多助産婦は、康子を、病室から同じ階にある分娩室まで連れて行つたが、その際、同女は、同助産婦とフミエとに支えられながらも、自分で歩いて分娩室まで赴いた。

(二)  木田看護婦は、康子を分娩室の分娩台に寝かせた後、直ちに被告に対し、その旨報告した。そこで、被告は、外来患者の診察を中止して直ちに分娩室に向かい、康子を診察したところ、同女の子宮口は全開大になつて、既に児頭は降臨しており、胎児心音も良好であつた。

(三)  ところが、その後、胎児は児頭降臨状態のまま停止してしまい、いまひと息のところで、娩出しなかつた。そこで、被告は、やや回旋異常があつて娩出しにくいものと判断して吸引分娩にとりかかることとし、まず、康子の会陰を切開したうえ、吸引器を用いて一回吸引したところ、胎児は、右吸引により、同日午後七時三分娩出した。なお、被告が胎児心音の良好であることを確認し終えた後胎児が娩出されるまでの時間は、約五分間であつた。また、右出生児の体重は三四〇〇グラムで、その性別は女であつた。

(四)  ところが、出生児は、娩出した際、アプガール係数二点の重症仮死状態(心音は認められるものの、呼吸しない状態)にあつた。

そこで、被告は、出生児に対し、まず気管カテーテルを用いて気管支内に同児が吸い込んでいる羊水等を吸引したうえ、酸素吸入を実施したが、それでも出生児が第一呼吸をしないので、今度はマウス・ツー・マウス法による人工呼吸を実施した。

(五)  出生児は、右のような被告の蘇生術の結果、一たんは顔に血の気がみられるようになつたが、その後再び症状が悪化し、被告が酸素吸入等の蘇生術を継続したにもかかわらず、同日午後七時二〇分ころ死亡した。

(六)  本多助産婦は、被告が右のとおり蘇生術を施している間、康子に付き添つて、その容態に変化がないかどうかを観察していたが、同女の全身状態には何ら異常は認められなかつた。

7  胎児死亡後、ショック開始までの経緯

(一)  被告は、出生児が死亡した後、臍帯を結紮したうえ、康子に対し、子宮収縮剤バルタンを静脈注射した。

その直後に、康子は、胎盤を娩出したが、右後産の際、同女は、胎盤に引き続いて、その辺縁に引つついたような状態で、手の平に乗る位の大きさの凝血塊を排出した。

また、出生児の臍帯は、長さが約三〇センチメートルで、太さも通常の半分くらいしかなく、しかも非常に伸びたような状態であつた。

(二)  被告は、康子が後産を終えた後、子宮鏡を用いるとともに、自らの手指も子宮内へ差し入れて、子宮、子宮頸管及び腔部に裂傷等がないかどうかを観察し、それがないことを確認した後、会陰切開部位を縫合し、そのうえで出血予防タンポンを子宮頸管内に挿入し、さらに、子宮収縮剤バルタンを、今度は一錠服用させ、また、子宮収縮を妨げる膀胱充満を除去するために導尿を行つた。

(三)  被告が右処置を行つている間、康子は、意識明瞭で、血色もよく、被告や本多助産婦等が慰めの言葉をかけるのを頷きながら聞いており、また、同女が後産の際同時に排出した羊水には混濁は認められず、さらに、妊婦は胎児娩出及び後産に伴つて出血を生ずるが、同女の出血量は、前記凝血塊をも含めて約五〇〇ccであつた。

(四)  被告は、同日午後七時四〇分ころまで、康子の容態を経過観察したが、子宮収縮は良好で、新たな格別の性器出血もみられなかつた。

ただ、康子の右胎児娩出及び後産時の出血は、被告が右経過観察を行つている間、凝固するにはしたものの、その程度は弱く、血液が何となくサラサラしているように感じられた。

(五)  そこで、被告は、本多助産婦に対し、血がサラサラしているから出血と血圧とに気をつけるよう指示したうえ、外来患者の診察を再開するため、診察室へ降りた。

8  ショック開始後、康子死亡に至るまでの経緯

(一)  被告が一たん診察室へ降りた後、分娩室には木田看護婦と本多助産婦とが居残つて、康子の容態を観察していたが、同女は、同日午後七時五〇分ころ、突然「しんどい」と言い出し、血圧計の示す血圧数値も急激に低下した。

そこで、木田看護婦は、その旨を急いで被告に伝えた。

(二)  右報告を受けた被告は、直ちに外来患者の診察を再度中止して分娩室に向かい、康子を診たところ、同女は、意識はあつて会話をかわすことはできたものの、血圧が六五と三〇にまで低下し、顔面は蒼白で、脈拍も頻数となるほど、一見してショック状態とわかる症状を呈していた。

(三)  そこで、被告は、直ちに、再度内診を行つたが、子宮底の収縮状況は良好で、新たな性器出血もなく、同女が陥つた産科ショックの原因を突きとめることはできなかつた。

(四)  しかし、被告は、康子をなんとか救命しなければならないと思い、産科ショックに対しては、まず第一に血管を確保することが肝要であると考えて、血圧上昇剤エホチール、副腎皮質ホルモン・デキサシエロソン、止血剤アドナをセットにした補液の点滴を開始するよう木田看護婦に指示する一方、新鮮血(生血)を輸血することもショックに有効であると考え、康子の血液型はAB型であつたが、AB型は他型の血液でも適合することなどを考慮して、中尾医院に残つていた他の二名の看護婦(狩集及び早川看護婦)に対し、富士輸血協会に電話してO型の新鮮血五〇〇ccの緊急手配を依頼するよう指示するとともに、あわせて、康子のショックが重篤で自分一人の手には余るものと考え、近隣の高岡、魚里及び杉本の各医師に連絡して応援を求めるよう指示した。

(五)  被告は、右点滴が開始された後、新鮮血が届けられる前にも現在中尾医院内にいる者のうち康子の血液と適合する者の血液を輸血しようと考え、木田、狩集及び早川の各看護婦並びに被告の妻がいずれもA型であり、また、出生児死亡の知らせを受けて同医院にかけつけた原告もA型であつたので、右各人から採血するよう指示し、採血できたものから順次、クロスマッチ検査をしたうえ、同日午後八時二〇分ころから輸血を開始した。

(六)  魚里浩一医師は、血液学を専攻した内科医師であるが、中尾医院から応援依頼を受けたので、緊急処置のために必要な用具を持つて同医院に急行し、遅くとも同日午後八時一五分ころには同医院に到着した。

(七)  魚里医師が中尾医院に到着した時点では、康子は、まだ意識があつて被告の問いかけに応答しており、また既にその左腕に点滴が施されていたが、同医師が診たところ、同女の症状は重いものと認められた。

(八)  被告は、魚里医師に対し、康子がショック状態に陥つた経緯と自己が既に執つた処置の概要を説明した後、同医師と共同して、康子に対し、水溶性副腎ホルモン・ハドロコートン、ショック防止剤プロタノールL、血圧上昇剤エホチール、止血剤レプチラーゼ、呼吸促進剤アトムラチンなどを、注射ないし点滴の方法により投与した。

(九)  しかしながら、康子の容態は、右各処置が施されている間にも、血圧がさらに低下するなど悪化の一途をたどり、同女は、同日午後八時三〇分ころには、意識を失い、呼吸困難に陥つた。

(一〇)  そこで被告は、康子はいよいよ危篤状態に陥つたものと判断し、来院している家族を分娩室に入れるよう指示し、他方、魚里医師は、康子の気管に気管チューブを挿入して人工呼吸(酸素吸入)を実施した。さらに、同医師は、そのころ応援に駆けつけた産婦人科の杉本医師と交替で、心臓マッサージを行つたが、康子は、同日午後八時五〇分死亡した。

(一一)  なお、康子にショックが生じて被告が内診した後、同女死亡に至るまでの間、被告も魚里医師も、同女に、臨床的に問題となると思われるような性器出血を認めなかつた。

9  康子死亡後の経緯

(一)  被告が同日午後八時前ころ富士輸血協会に発注した新鮮血は、康子が死亡した後の同日午後九時一五分ころになつて、ようやく到着したが、これは、同協会から中尾医院までは、通常、車で三〇分あれば到着できるところ、そのころ、同医院へ向う道路が渋滞していたことなど外部事情によるものであつた。

(二)  康子が死亡した後、被告と応援に駆けつけていた医師らは、同女に生じた産科ショックの内容を検討したが、これを確定することはできなかつた。そこで、高岡医師(なお、同医師が駆けつけたときは、康子は死亡した後であつた)は、遺族と被告の双方のためにも、死因を明確にさせるべきであると主張し、遺族に対し、同女の解剖に応じるよう求めるとともに、警察にも連絡し、また、被告に対しても、遺族が解剖を承諾してくれるよう説得すべきである旨を述べ、これを受けて、被告も遺族に対する説明と説得を行つた。また、連絡を受けた警察も、警察官数名と警察医の牧野光夫医師を中尾医院に派遣し、関係者から事情聴取を行なうなどしたが、康子の死因が産科ショックであることは把めたものの、その原因を解明することはできなかつたので、遺族に対し、解剖に応じるよう説得を行つた。しかし、遺族は、協議した結果、解剖には応じられないが、その代り、被告の責任を追及したりすることもしない旨回答した。そこで、警察官は、康子の実父である中川政男から、遺族の代表者として、右回答を内容とする調書を作成したうえ、中尾医院から引き上げた。

以上のとおり認められる。<中略>

三康子の死因について

康子の死因が産科ショックであることは当事者間に争いがないが、同女に生じた産科ショック(以下、「本件ショック」という。)の内容については、原告は、羊水感染に基因する敗血性ショックであると主張するのに対し、被告は羊水栓塞に基因するDIC(播種性血管内凝固症候群)であると主張する。

そこで、以下、本件ショックがいかなるものであつたかについて判断を加える。

1 鑑定人富永敏朗の鑑定の結果、証人富永敏朗の証言、並びに弁論の全趣旨を総合すると、分娩予定日前後の分娩周辺期に発症する産科ショックの種類及びその原因は次のとおりであることが認められる。

(一) 出血性ショック

分娩中ないしその後の異常出血に基因して発症するもので、異常出血は、正常位胎盤早期剥離、前置胎盤、子宮破裂、羊水栓塞症、諸種後産期出血並びにこれらの疾患に伴つて生ずる子宮弛緩、癒着胎盤、頸管裂傷、腔・会陰裂傷又は血腫、子宮内反症などに基因して生ずる。

(二) 麻酔・薬物性ショック

麻酔や投与した薬剤の副作用などに基因して発症するショックをいう。

(三) 心・血管性ショック

仰臥位低血圧症候群、心原性ショック、肺栓塞などに基因する。

(四) 敗血性ショック

血液中に細菌が入り込み、その毒素によつて血液の機能が低下してショックに陥いるもので、羊水感染、腎盂炎、産褥熱又は敗血症に基因して発症する。

(五) DIC(播種性血管内凝固症候群)

全身の至る所の比較的細かい血管に血液凝固が起つて微少血栓が形成され、このため血液中の血液凝固に必要な成分が消費され、さらに微少血栓を溶解しようとする二次的な生体現象として線溶現象の亢進が起り、このために著明な出血傾向が生ずるもので、右微少血栓の形成や二次的生体反応による出血がショックを生ぜしめる。これを起しやすい基礎疾患としては、正常位胎盤早期剥離、後産期出血、頸管裂傷その他の重症出血、重症感染症、羊水栓塞、重症妊娠中毒症、死胎児稽留症候群などがあげられる。

2  そこで、まず、本件ショックが、原・被告がそれぞれ主張する以外の種類のものでなかつたかどうかを検討する。

(一)  まず、出血性ショックであつた可能性について検討するに、出血性ショックが異常出血に基因して生ずることは前記1(一)に認定したとおりであるが、前二項に認定したところによると、康子の後産終了時における出血量は約五〇〇ccであり、右五〇〇ccという出血量は、前掲鑑定の結果によれば正常値の上限とみなされるものであつて、これだけでは異常出血とはいえないことが認められ、しかも同女には、分娩終了後死亡に至るまでの間、外出血、内出血を含めて異常な性器出血はみられず、子宮収縮も良好で、子宮や頸管等の裂傷も存在しなかつたのである。また、胎児娩出を開始する以前についてみても、同女には、下り物の中にわずかに血が交つていたことがあり、また少量の鼻出血もあつたが、それ以外には、性器出血や粘膜・皮膚からの出血があつたことを窺うことができないところ、前掲鑑定の結果によれば、分娩開口期には、子宮頸管の開大に伴つて少量の性器出血の生ずることは、正常分娩でもしばしばみられるところであり、また、右のような鼻出血をもつて全身の出血傾向の部分現象であるとは考えられないところである。

そうすると、康子の本件出産前後における出血量は、出血性ショックを出現せしめる程多いものであつたと認めることができないから、本件ショックが出血性ショックである可能性は、否定すべきである。

(二)  本件ショックが、麻酔・薬物性ショックであつた可能性について検討するに、前二項に認定した治療経過によるも、本件出産に際し、同女に麻酔が施されたことを認めることができない。また、前掲鑑定の結果によれば、同女に投与された薬剤中に、産科ショックを引き起すおそれのあるものはないことが認められる。

そうすると、本件ショックが麻酔・薬物性ショックである可能性も、否定すべきである。

(三)  本件ショックが、心・血管性ショックである可能性について検討するに、前掲鑑定の結果によれば、前二項に認定した康子の症状からすると、同女に心原性の急性心筋梗塞が生じた可能性は否定できないが、その他の原因による心・血管性ショックが生じた可能性は考えられず、また、康子が正常に妊娠を経過して分娩に至つた若い婦人であることに照らすと、急性心筋梗塞の可能性も、まず否定すべきである。

(四)  以上によれば、本件ショックが心原性の急性心筋梗塞であつた可能性は、否定し去ることはできないものの、その可能性は乏しく、また、出血性ショック及び麻酔・薬物性ショックであつた可能性は否定すべきものというべきである。

3  そこで、本件ショックが、原告の主張するように、敗血性ショックであつたのか否かを検討する。

(一)  前掲鑑定の結果、富永証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、

(1) 敗血性ショックは、前記1(四)のとおり、血液中に細菌が入り込み、その毒素によつて血液の機能が低下してショック状態を呈するに至るものであるから、敗血性ショックであるとの確定診断をするためには、血液を細菌培養し、その結果、血液中から細菌が検出されることが必要であるが、敗血性ショックが生ずる場合には、ショックが始まる以前から、妊婦は高熱を発するので、右高熱の存否が、臨床上、敗血性ショックであるかどうかを判定するうえでの重要な所見となること

(2) 敗血性ショックを起す際にみられる発熱は非常に強いもので、メチロンといつたピリン系の解熱剤を投与しても、投与後一時間ないし一時間三〇分経過すれば、解熱効果が消失して、妊婦は再度発熱するに至ること

が認められ<る。>

そこで、これを本件についてみるに、前二項に認定した事実経過によれば、康子は、本件ショックを呈する約四時間二〇分前である昭和五二年一〇月一一日午後三時三〇分ころ、一旦は摂氏三九度の発熱を引き起したものの、セフアメジンとメチロンの投与により、その後しばらくして解熱し、その後、同日午後六時ころに被告が診察したときには再発熱はなく、さらに、その後同女が死亡するに至るまで、同女に再度の発熱が生じたことを窺わせる事情もみられなかつたのである。

そうすると、康子には、本件ショックが敗血性ショックであることを窺わせるような症状はみられなかつたものということができる。

(二)  さらに、康子に羊水感染が生じていた可能性について検討するに、前掲鑑定の結果、富永証言、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、

(1) 羊水感染とは、臨床上の意味においては、本来無菌であるところの羊水中に細菌が混入し、右細菌のもつ毒素によつて、母体もしくは胎児に生理上の悪影響が生ずることをいい、したがつて、羊水感染と確定診断するためには、その第一の要件として、羊水中から細菌が検出されることが必要であるが、羊水中に細菌が混入した場合に、常に母体もしくは胎児に悪影響を及ぼす訳ではなく、かえつて、細菌が検出されても母体や胎児に特段の影響が生じないことも多いので、右悪影響が起きた場合でなければ、臨床上の意味における羊水感染があつたとはいえないこと(以下、単に「羊水感染」という場合には、右臨床上の意味における羊水感染を指す。)

(2) 羊水感染が生じた場合、その母体に対する悪影響の一つとして、発熱があげられ、したがつて、発熱の存在は、羊水感染と診断するための一つの資料とはなりうるが、胎児娩出真近の妊婦が発熱した場合、そのことから直ちに羊水感染があつたものとみることはできないのであつて、むしろ、前期破水(分娩すなわち本格的な陣痛が開始する前に破水すること)が生じた妊婦においては、破水によつて陰部にあてた綿が濡れることによつて、常軌道感染を引き起して発熱する症例が最も多く、また、妊娠の際には腎盂や腎臓の尿管が非常に弛緩して活動性が低下してくるため、尿道感染を引き起して発熱する症例も多いこと

(3) 羊水感染を起した妊婦に嘔吐が生ずることもあるが、妊婦は何ら異常がなくとも嘔吐することがしばしばみられるので、嘔吐があつたからといつて、それだけでは羊水感染があつたものと診断することはできず、また、陣痛促進剤プロスタルモンEには、その副作用の一つとして、嘔吐を催すことがあげられること

(4) 羊水感染が生じた場合、それが胎児に悪影響を及ぼしたときには、胎児心拍数が増加するのが第一に現れる徴候とされていること

(5) 前期破水を生じた妊婦が、その後胎児娩出までに二四時間程度を要することは、臨床上しばしばみられるところ、破水後分娩終了までの時間が長くなればなる程、羊水中に細菌が混入する可能性が増え、一二時間以上経過した症例においては、羊水を細菌培養すると、ほとんど例外なく何らかの細菌が検出されるが、右細菌が母体もしくは胎児の死亡といつた重大なる結果を生ぜしめること(以下、右のような結果を生ぜしめる羊水感染を「重大なる羊水感染」という。)は、前期破水後胎児娩出までに三日以上も経過したという特殊な症例であれば格別そうでない限り、極めてまれにしか起こらないこと

(6) 重大なる羊水感染が生ずる場合には、羊水混濁がみられることがあること、もつとも、羊水混濁は、これが生じていても、母体や胎児にさほど悪影響を及ぼさないこともあり、逆に、これが生じていなくとも、重大なる羊水感染が生じていることもあるので、羊水混濁の存否は、それだけでは重大なる羊水感染が生じていたか否かの判断の決め手にはなりえないが、その不存在は、他の事情とあいまつて、重大なる羊水感染の存在を否定する一つの資料にはなること

(7) 羊水中への細菌の混入は、内診に際して起きることもあるので、細菌の羊水中への混入を防止するため、不必要な内診はできる限り避け、また、内診を行う場合には、内診する手に滅菌されたゴム手袋をつけるか、もしくは、手指自体をよく消毒液で洗い、妊婦の外陰部も消毒したうえでこれを行なわねばならず、内診を行う場合も、雑菌の多い不潔な場所は避けねばならないが、通常の病院の病室で行うことは、当該内診時において病室内で他の者が走り廻るなどの特段の状況がない限り、それによつて特に細菌感染のおそれが増大するものとはいえないこと

(8) 前期破水後時間の経過とともに羊水への細菌混入の可能性が高まることは前記(5)のとおりであるから、少しでもこれを防ぐため、妊婦は、その外陰部に清潔な綿をあてて安静にさせるようにし、また、排尿・排便の際、とりわけ排便の際には、細菌が混入する可能性が高いので、外陰部の消毒を行なわねばならないが、病院では、まず例外なく、妊婦に対し、右消毒に関する指導を行つていること

以上の事実が認められ<る。>

そこで、これを前二項に認定した本件出産の経緯と照らしあわせてみるに、康子は、前期破水を生じたうえ、その後胎児娩出に至るまでの間に、摂氏三九度の発熱を起こし、また、嘔吐したこともあつたのであるが、これらの症状の存在は、一見すると、康子に羊水感染が生じていたことを疑わしめるようにもみられないではない。

しかしながら、右各症状をさらに細かく検討してみると、まず、発熱については、メチロンの如き解熱剤の投与によつて解熱し、その後再発熱した形跡が全く窺われないことから、右発熱が重大なる羊水感染の存在を示すものとはとうてい考えられず、かえつて、このことは、重大なる羊水感染の不存在を裏づけるものといわざるをえない。さらに、康子に前期破水があつた後右発熱に至るまでに少くとも一四時間が経過していることに照らすと、右発熱が、常軌道感染に基因するものである可能性も相当強いということができるし、また、尿路感染の存在を否定する事情もみられないから、右発熱をもつて臨床上の意味における羊水感染の徴表であるとみることは困難であるといわざるをえない。また、嘔吐については、それが生じたのは康子にプロスタルモンEが投与された時間帯に限られているうえ、その時刻も破水後比較的間がないことに照らすと、右嘔吐は、羊水感染によつて生じたのではなく、むしろ、右投与による副作用により生じたものと推認することができる。

さらに、本件出産においては、(1)胎児心音は、娩出直前まで良好であつたもので、心拍数の増加という羊水感染の存在を疑わしめる所見は存在しなかつたこと、(2)康子に前記破水が生じた後本件ショックが出現するまでに要した時間は、長く見積つても二七時間を超えず、発熱するまでの時間はこれよりさらに約四時間は短かかつたのであつて、重大な羊水感染を生ぜしめるのに充分な時間が経過していないこと、(3)康子には、羊水混濁は全くみられなかつたこと、(4)本多助産婦も前記(7)の内診時の注意事項を遵守していたこと、内診は康子の病室において行なわれたこともあつたけれども、その際、同室の状態が通常の病院に比べて不潔であつたとか、ほこりが立ちやすい状態にあつたとかいつた特段の事情の存在は窺われないこと、康子入院後胎児娩出開始に至るまで、内診は合計八回行なわれたが、富永証言及び被告本人尋問の結果によれば、右回数は過剰といえるものではないことが認められること、をあわせ考察すると、内診時に康子の羊水中へ細菌が混入した可能性が、通常の産婦人科医院における内診の場合と比較して、より高かつたとはみられないこと、(5)康子が排尿・排便時の消毒に関する注意事項(前記(8))を遵守していなかつたことは認められず、また、前記(8)のとおり、産婦人科医院においては、ほぼ例外なく妊婦に対し、右排尿・排便時の消毒に関する注意を与えているところ、本多助産婦の知識、経験、康子に対する介護態度などに照らすと、中尾医院において、特に右指示を与えていなかつたとは考え難く、これらの事実に鑑みると、同女が排尿・排便を行つた際に細菌が羊水内に混入した可能性も、通常の医院に入院した妊婦と比較して、より高かつたとはみられないことなど、康子に羊水感染が生じていたとするには多大の疑問をさしはさむ事実が認められるのである。

そうすると、康子に臨床上の意味における羊水感染が発生していたと認めるに至らないというほかなく、ましてや、同女に重大なる羊水感染が発生していたとは、とうてい考えることができない。

(三)  以上の次第で、康子には、本件ショックが敗血性ショックであることを窺わしめるような所見は全くみられず、また、臨床上の意味における羊水感染が生じていたこと自体も、これを認めるに足る所見は存在しなかつたものというべきである。

4  そこで、本件ショックが、被告の主張するように、DICであつたのか否かを検討する。

(一)  DICの内容及びこれを起しやすい基礎疾患は、前記1(五)のとおりであるところ、本件出産における康子の出血量が正常な範囲にとどまつていたことは前記2(一)に判示したとおりであるから、本件ショックが重症出血に基因するDICであつた可能性はない。また、前掲鑑定の結果及び富永証言を総合すると、重症感染症を生じた場合には、それに伴つて妊婦は高熱を発し、メチロンの如き解熱剤を投与しても、一時間半もたたないうちに解熱効果が消失し、妊婦に再発熱がみられるようになるのに、本件出産の場合にはそのような症状が存在しないことなどの本件出産の経緯(前二項)に鑑みると、重症感染症の存在した可能性も否定される。また、弁論の全趣旨によれば、妊娠中毒症を認定するための重要所見として尿蛋白の存在があげられることが認められるが、本件出産の過程において、康子には尿蛋白が一度も出現しなかつたのであるから、重症妊娠中毒症の可能性も否定することができる。さらに、本件胎児が重症仮死の状態ではあつたものの、出生したことに鑑みると、死胎児稽留症候群の可能性もないというべきである。

(二)  そこで、羊水栓塞に基因してDICが生じた可能性を検討するに、前掲鑑定の結果によれば、

(1) 羊水栓塞は、羊水が胎盤付着部の子宮壁または頸管内膜の静脈より母体血中に移行し、移行した羊水中の組織トロンボプラスチンが母体血液の凝固系を活性化し、析出した線維素などが肺をはじめ全身重要諸臓器の細小動脈に線維素血栓を形成することによつてDICを生ずるに至るものであると考えられていること

(2) 羊水栓塞は、分娩の終盤または胎児娩出後比較的間がない時間帯に突発的に発症するものであるが、発症前に前徴となる症状が現われないのを特徴とし、突然、不安、苦悶を呈し、呼吸困難、チアノーゼとともに、出血とは全く無関係なショック状態に陥り、発症後一時間以上生存する場合には、出血、子宮弛緩が認められるようになり、血液凝固障害が生ずること

(3) 弘前大学産婦人科の品川信良教授の調査(厚生省班研究報告書「妊婦死亡予防のための具体的対策に関する研究」)によると、妊婦死亡剖検三〇六例のうち、肺に羊水栓塞症が発見されたものが一五例(四・九パーセント)あつたが、このうち臨床的に羊水栓塞が疑われていたものは六例(四〇パーセント)にすぎず、その余は単にショック死または突然死とされていたため、同教授は、説明のつきにくい妊婦の突然死や急死例の場合、羊水栓塞症を疑うべきであるとの報告をまとめたこと

(4) 羊水栓塞を発症した場合も含め、DICが生じた場合には、微少血栓形成過程で血液中の血液凝固に必要な成分が消費されるため、血液の凝固性が乏しくなり、出血が生じた場合、血液がなんとなくサラサラした感じを呈し、全く凝固しないか、凝塊を形成しても柔かかつたりすること

以上の事実が認められ<る。>

そこで、これを本件についてみてみるに、(1)康子の後産期における出血は凝固はしたものの、その程度が弱く、血液自体もなんとなくサラサラしていたことから、後産期において同女の体内で血液凝固機能の低下現象が始つていたことが窺われること、(2)康子には、右(1)の点を除けば、他に産科ショックの前徴とみられる症状(異常出血、高熱など)は認められないこと、(3)ショック発生後同女が死亡するに至るまでの経過時間は約一時間であつたが、その間にも臨床上問題となるような出血はみられなかつたこと、の各点において、羊水栓塞を疑うべき症状の存在したことが認められる。

(三)  そうすると、本件ショックが羊水栓塞に基因するDICであつた可能性は相当高いものということができる。

5  以上のように、本件ショックが、出血性ショック、麻酔・薬物性ショック、敗血性ショック並びに羊水栓塞以外の基礎疾患に基因するDICであつた可能性は否定され、心原性の心筋梗塞であつた可能性は否定できないものの、その可能性は乏しく、他方、羊水栓塞に基因するDICであつた可能性が相当高い以上、本件ショックは、羊水栓塞に基因するDICであつたものと認めるのが相当である。

四出生児の死因について

原告は、出生児の死因は羊水感染による全身状態の不良によるものであると主張するが、康子が臨床上の意味における羊水感染に罹患していたことすら認め難く、ましてや胎児の生死に重大な影響を与えるような羊水感染が発生したとは、とうてい考えられないことは前記三3(二)に認定判示したとおりであるから、右主張を採用することはできない。

そこで、さらに、本件出生児の死因がいかなるものであつたかについて検討するに、本件出生児は、娩出直前に、児頭降臨状態のまま停滞してしまつたので、被告は直ちに吸引分娩を実施したが、右停滞時から娩出終了までに約五分間を要したところ、右出生児は、三四〇〇グラムまで発育していたものの、アプガール係数二点の重症仮死状態で出生し、また、その後娩出した臍帯(以下、「本件臍帯」ともいう。)は、長さが、約三〇センチメートルで、太さも通常のそれの半分くらいしかなく、しかも、非常に伸びたような状態になつていたことは前二項に認定したとおりであるが、前掲鑑定の結果及び富永証言によれば、(1)本件出生児が三四〇〇グラムまで発育していたのに、その出生時における臍帯が三〇センチメートルと異常に短かいのは、それだけでも臍帯に先天的異常があつたことを示すものであること、(2)胎児娩出時には子宮底が下降するため、臍帯の長さが約二〇センチメートルあれば分娩障害は生じないとされているのに、本件出産の際には分娩障害が生じ、さらに、本件臍帯が右のように非常に伸展した状態で三〇センチメートルしかなかつたことなどをもあわせると、右臍帯は、出生児が母体羊水中にあるときには、二〇センチメートルよりもさらに短かかつたものと解することができること、(3)臍帯中には二本の臍動脈と一本の臍静脈とがあつて、これが胎児の循環機能を果しているところ、胎児が産道を通り抜けて娩出する際には、臍帯は最も伸びた状態になるうえ、胎児と産道(母体骨盤壁)とにはさまれた状態にもなるので、その結果臍帯に加わる伸展力と外圧から右血管を保護し、胎児娩出時の血流の円滑を確保するために、臍帯には膠様組織が存在し、これが血管を取り囲んでいるが、正常な膠様組織は、弾性に富むため、右伸展力や外圧が加わつても、通常の臍帯の半分の細さにまで伸展されることはありえないこと、(4)骨盤位(いわゆる逆子)の場合には、胎児娩出時に、臍帯は固い頭と産道の間にはさまれるため、臍帯に加わる外圧は非常に強く、正常な膠様組織を持つた胎児でも、児頭が産道中で五分間停滞すれば死亡に至るものとされており、正常位の場合には、臍帯を圧迫するのは胎体であつて頭よりはずつと軟かいけれども、それでも、正常な膠様組織と長さを持つた胎児においてすら、血流循環障害を生じて仮死状態で生まれる症例は、臨床上しばしばみられるところであり、ましてや、臍帯の長さが極端に短かいうえに膠様組織自体も異常に脆弱であるという二重の先天的異常が存在する胎児であれば、五分間の停滞中に重症仮死が生ずることは充分ありうるものと認められ<る。>

右各事実を総合すると、本件出生児は、臍帯が極端に短かかつたうえ、その膠様組織も異常に脆弱であつたため、娩出する過程において次第に臍帯が伸びて、右伸展力によつて、娩出直前には臍帯が細く伸び切つた状態となつたが、それでも臍帯が短かすぎたために、なお、娩出せず、児頭降臨状態のまま約五分間停止し、その間に産道と児体とに臍帯がはさまれていたこともあつて、血流が跡絶え、被告の吸引によつて何とか娩出したものの、右循環障害によつて、娩出後も回復しえないほどの重症仮死状態となり、これが原因で死亡したものと推認することができる。

なお、原告は、膠様組織に異常があれば、出生児が三四〇〇グラムまで発育することはないと主張するが、膠様組織が、胎児娩出時に臍帯に加わる伸展力と外圧から臍血管を保護し、血流の円滑を確保するために存在するものであることは前記認定のとおりであつて、前掲鑑定の結果及び富永証言によれば、右異常があつても、胎児の母体内における発育には何ら悪影響を及ぼさず、実際上も、右異常があるのに正常に発育した症状はいくらでもあることが認められるから、右主張は理由がない。

そうすると、本件出生児の死因は、同出生児の臍帯に存した臍帯短小と膠様組織の脆弱という二重の先天的異常に基因する娩出時の血行障害であると認めることができる。

五被告の責任について

1 請求原因5(一)及び(二)は、いずれも康子及び出生児の死因が重大なる羊水感染に基因するものであることを前提とするところ、康子に重大なる羊水感染が発症していたものとは到底認められないことは前記三3(二)に認定判示したとおりである。

また、原告は、同(一)において、康子に前期破水が生じた後の本多助産婦の処置が、羊水感染を防止するための配慮を欠いた不完全なものであつたと主張するが、(1)中尾医院において康子入院後同女に施行された内診回数は、その全体を通してみても過剰なものとはいえないこと、(2)同助産婦は、内診する際には、自己の手指を消毒し、また康子の外陰部も消毒したうえで行なうことにしていたが、この処置は内診時の羊水感染防止処置として適切なものであること、(3)同助産婦は、康子入院後ほぼ一貫して同女の経過観察等に従事し、その間、同女にいかなる下り物があつたかにも気を配つていたことなど、これまでみてきたところによれば、同助産婦の処置が羊水感染防止のための配慮を欠いていたとは認められず、むしろ、その処置は、適切なものであつたものということができるから、右主張は理由がない。なお、原告は、本多助産婦が康子に外陰部に当てる綿の取り替えを委せていたことをもつて同助産婦の処置が不完全であつたことの徴表であるかの如く主張するが、富永証言によれば、大学病院においても、妊婦には綿を貸し与えて、自分で綿を交換させるようにしていることが認められるから、同助産婦の右処置をもつて不適切なものとは言えない。

また、原告は、同5(二)において、康子発熱時における被告の投薬方法が、発熱原因の除去に対する配慮を欠いた不完全なものであると主張するが、前掲鑑定の結果及び富永証言を総合すると、妊婦に発熱があつた場合には、発熱原因の究明とその除去もさることながら、発熱が胎児に与える悪影響をも充分考慮して速やかに解熱させることも極めて重要な事項に属し、したがつて、妊婦の発熱に際し、抗生物質セフアメジンと解熱剤メチロンを同時投与することは、臨床学的にみて適切な処置であることが認められるから、被告の発熱時の投薬方法に不完全な点はなかつたものというべきであり、右原告の主張も理由がない。

そうすると、請求原因5(一)及び(二)は、いずれの点から検討しても、理由がないものといわざるをえない。

2  そこで、請求原因5(二)について判断する。

原告は、被告が自ら経過観察を実施しておれば、早い段階で康子の異常に気づき、同女がショック状態を呈し、また、出生児が重症仮死状態で出生するまでに、回避措置を講じ、二人を救命できたはずであると主張する。

しかしながら、康子の死因が羊水栓塞に基因するDICであることは前記三のとおりであり、また、羊水栓塞は、その発症前に前徴となる症状が現われないことも前記三4(二)に認定したとおりであるから、現代の医学水準では、医師が羊水栓塞の発症を予見することは不可能であるといわざるを得ない。

また、出生児の死因が、その臍帯に存した臍帯短小と膠様組織の脆弱という二重の先天的異常に基因する娩出時の血行障害であることは前記四に認定したとおりであるところ、前掲鑑定の結果及び富永証言を総合すると、臍帯の短小やその膠様組織の脆弱は、このことと胎児の発育状態とに何らの関係もないことから、胎児の娩出前にこれを予見することは不可能であるというべきである。

また、被告が、康子に羊水栓塞が発症することや胎児に臍帯の先天的異常があること自体は予見不能であつたとしても、康子の症状から、何らかの異常が存在することを認識して回避措置を講じることができなかつたかどうかをみてみるに、康子には、嘔吐、発熱及び若干の出血があつたものの、このうち、嘔吐はプロスタルモンEの副作用によるものであることは前記三3(二)に認定したとおりであり、発熱も、被告の速やかな投与によつて、解熱し、その後再発熱することはなかつたのであり、また、鼻出血や若干の性器出血も、これをもつて異常分娩の徴表とみることはできないことは前記三2(一)のとおりである。また、康子の分娩開始時刻は昭和五二年一〇月一一日午前六時ころであり、その終期は同日午後七時二〇分ころであつたから、同女の分娩所要時間は約一四時間三〇分であつて、これは初産婦の分娩所要時間として正常なものである(初産婦の通常の分娩所要時間が一一ないし一五時間であることは当事者間に争いがない。)。さらに、(とうてい措信し難いこと前二項のとおりである<証拠>及びフミエ証言以外には)康子の疲労がことに著しかつたことを認めるに足る証拠はなく、かえつて、同女が胎児娩出直前に、自分で歩いて分娩室まで赴いていることに照らすと、その疲労の程度も格別異常というほどのものでなかつたと認められる。そして、他に、康子の本件出産の経緯中に、同女に異常所見があつたことを窺わしめる事情は存在しないから、被告が、康子や胎児に何らかの異常が生じていることを予見することはできなかつたものというべきである。

なお、原告は、被告が、自ら診察する以外の時間帯における経過観察等を、本多助産婦などに委ねていたことを非難するが、前記二2(三)に認定した中尾医院における人員構成からすれば、一人しかいない産婦人科医師である被告が、康子入院後同女だけに付き添つて経過観察等を行なうことは、そもそも不可能であるばかりか、その必要性もないというべきであり、助産婦や看護婦に右経過観察を行なわしめて、異常が生じた際に速やかに被告に報告し、その診察や指示が行なわれる状況を維持すれば、それで看護体制としては通常の医療水準に合致した妥当なものというべきところ、本件において、右看護体制が充分維持されていたことは前記二に認定したとおりである。したがつて、原告の右非難は、これを採用することができない。

以上のとおり、被告は、充分な診察・看護体制を敷いて康子の出産に対処したものであり、それにもかかわらず、康子や胎児に異常事態が生じることは予見できなかつたものというべきであるから、被告に不完全な診察や過失があつたものとは到底認められないといわざるをえない。<以下、省略>

(裁判長裁判官中田耕三 裁判官始関正光、裁判官園田小次郎は転勤につき署名・捺印することができない。裁判長裁判官中田耕三)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例